flutter





幼子の声は天使の羽音

陽炎のように儚く、小さく震えながら、それでいて甘い吐息のような・・・

耳に届いた瞬間、胸に愛が溢れ出す

神様のプレゼント




「ターター」

リビングで娘が可愛い声でパパに話しかけているみたいだ

「ん?愛は何がしたいの?」

ヒロパパは優しく答えてあげてる


ヒロとボクの間に産まれた娘は最近、言葉を覚えて喋り始めた

もちろん、ちゃんとした言葉ではないけれど、彼女なりに理解している

それを判読出来るのは母親の方が得意だと思う

いつも側にいると言う事よりも、体内で10ヶ月かかって母親の血と肉で造られたのだから当たり前なのかも


「ターター・・・・あ〜〜ん」

パパにはどうしても通じないのに焦れて娘が泣き出した

「泣かないで・・・パパが悪かったから・・・愛・・・・」

「どうした?また泣かせちゃったんだね」

泣いている娘を抱いてヒロがボクの所までやってきた

「まだ愛の言いたい事が分からなくて・・・ごめんね」

それでも娘はパパが大好き

今だって泣きながらでもヒロの首にしっかりしがみついてる

「ねぇ?大ちゃん・・・〃ターター〃ってどう言う意味なの?」

「靴を履いてお外に出たい・・・って」

「すげぇ・・・」

ヒロはまるで魔法の呪文を聞いたみたいな顔でボクを見た

「いつも聞いてるけどヒロは覚えないだけ」

「知ってるよ。マンマ≠ヘご飯でしょ。ブーブー≠ヘ車、ニャーニャー≠竍ワンワン≠熾ェかるってば」

「偉い、偉い」

でも、それは『言葉』ではない

赤ちゃん特有の信号みたいなものだ

いつか・・・そう遠くないいつか、彼女が喋りだす日が来る

「愛、パパとお散歩に行こうか?」

大好きなパパと大好きなお散歩

泣いていた愛が泣き止む

マスカラでも塗ったように濃い色の睫が縁取る琥珀の瞳をボクに向けるとたちまち笑顔になった

抱かれた腕から焦れるように抜け落ちると愛は玄関へ走っていく

いつでも履けるようにと、小さなラックに置いてある彼女の一番のお気に入りの靴を指差して廊下に座る

その素早さにボクはただただ笑うしかない

「誰かさんに似て好きな事には早いよね」

「うん、足も速くなりそうだし」

少し前から愛を『ベビースウィミング』に通わせ始めた

案外と筋が良いと先生に言われヒロは上機嫌だ

ボクはボクでスタジオに連れて行った時はキーボードを触らせたりしている

・・・・ボク達は究極のバカ親かもしれない

「ターター」

親のそんな思惑に一向に構う事無く早く靴を履かせてよ〜〜≠ニ足をピンと突っぱねた

「はいはい・・・」

ヒロの大きな手に包まれているそれは小さな赤いベビー靴

器用に細い紐の結び目を作り愛の足におさまった

その間にボクは二人分のジャケットとマフラーと愛の手袋と帽子を持って廊下でその様子を見ている

パパの手に掴まって立ち上がり、トントンとつま先を鳴らせばお散歩に行く準備が出来た合図だ

「じゃあ、大ちゃん行って来るね。愛もママに行って来ま〜すって挨拶して」

「ましゅ・・・」

「はい、気をつけてね」

バイバイするのも随分と上手になった

そんな些細な事にも成長を感じ嬉しくなる反面

・・・・もっと、ゆっくり大きくなってくれても良いのに



ボク一人だけになった家でスタジオから持って来た仕事を始める

昔は仕事は家に持ち込まない主義≠セったけど、愛が生まれてからは一秒でも側にいてあげたくて

家で出来る事は全て持って来るようになった

強固な主義主張を変えるのは偉い大臣や哲学者じゃない

愛する人を思う気持ちだけで簡単に変えられるものだ


ふと、見回せばそこかしこに溢れる色とりどりのオモチャや絵本、お菓子やぬいぐるみ

知らずに増えてしまう目にも見えないようなものばかりがこの部屋を占領している

その絵本の間に紛れるようにヒロの雑誌がある

・・・・確かにココに一つの家族の日常が溢れているんだ

ボクはふと泣きたいくらい彼らを愛している事に気付く


ペンを走らせる手を止めて、彼らの帰宅を心待ちにする

まだ、散歩に出て数分も経ってはいないのに、ヒロの声も娘の気配も感じないココは何て無機質だろう

「まだかな・・・」

いっそ自分もジャケットを着て公園まで飛んで行きたい気分だ


「・・・・ちゃん!!大ちゃん!!」

耳に飛び込んできたのはヒロのただ事ではないボクを呼ぶ声

愛を小脇に抱えて必死な形相のヒロが部屋に駆け込んできた

「ヒロ!!どうした?愛に何かあった??」

ハァハァと息をつかないヒロはおいといて、ボクは廊下に降ろされた娘を覗き込むと

パパのダッシュを遊びだと思っているのかさして不思議ではない顔をしている

ケガしているとか具合が悪そうではない、むしろ機嫌はすこぶる良さそうだ

「ヒロ?・・・・具合が悪いのはヒロ?」

「違っ!愛がね・・・・ママ≠チて言ったよ」

「・・・・・・また・・・・・どうせマンマ≠チて言ったのを聞き間違えたんだよ。

ボクもよくぬか喜びさせられるもの」

「だから!本当に言ったんだってば!公園で他の子がお母さんを指差してママ≠チて言ったら、

真似したんだと思うけどママ≠チて!  オレ、ビックリして走って来ちゃった」

「そっか・・・でも二度目はいつだろう」

信じてない訳じゃない、でも自分の耳で聞かない限りは誰だって喜べない

それに一番最初に言って欲しいのは・・・・


「愛・・・・この人だぁれ?」

ヒロがボクを指差して愛に聞くと、言われた彼女はボクをジっと見つめる

「さっき、パパに聞かせてくれたみたいに言ってごらん?・・・この人はだぁれ?」

「・・・・・・・・・・・・・ママ」

その時のボクの胸の高鳴りはどうやって誰に告げれば理解してもらえる?

神様がくれた奇跡はいつまで続くのだろう?

「ほら!ちゃんとママ≠チて言えた・・・ねぇ?大ちゃん」

ボクは嬉しくてヒロに抱きつく

彼としかこの幸せは分かち合えない気がする

「うん・・・ちゃんと聞こえた・・・嬉しいって言うか・・・今、死んでも良いって思えるくらい幸せだよ」

「・・・ママ・・・ママ・・・」

愛の声がボクの胸の中にそっと堕ちて来る

それは軽やかで儚くて美しい

この世で一番大事な宝物


ボクは愛を抱き締める

嬉し涙ってこう言う時に流すものだよね

少しくすぐったそうにするけれど、それが嬉しいのかママ≠ニ呼び続けてくれる


「羨ましい・・・・愛?これは誰?」

ヒロが自分の顔を指差し愛に問いかける

「・・・・・・」

「・・・・黙るなんてすげぇショック」

床に転げるヒロの上に愛はダイビングした

「ゲホッ!」

愛はパパが大好きだ

ボクは一番最初にパパ≠チて言うとずっと思っていて、それを願っていた


もう少ししたらママ≠カゃなくて大ちゃん≠チて呼ぶの?

そしたらパパ≠カゃなくてヒロ≠チて呼ぶんだね


その羽音のような優しい声で・・・・





◆◆◆◆◆◆◆◆END






flutterは羽ばたきする≠チて意味です

              suika
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