○ 特効薬 ○
『何か面白い記事でも載ってる?』
すでに30分以上、雑誌から顔を上げずにいるダイスケに、痺れを切らしたアベが話しかける。
『ん?・・・・あ・・・まぁ・・・・』
アベが何を言いたいのか分かっているダイスケは、ポリポリと頭を掻いて言葉を濁す。
雑誌が面白くて読みふけっていたわけではなく、仕事から逃げていただけだから。
『余計なお世話でしょうけど、そろそろお仕事にかかったほうがいいと思うんだけど?』
アベの皮肉に、周りにいる事務所のスタッフは、ダイスケがなんと返すか興味津々で見ている。
本当なら、とっくに仕事部屋に篭っている時間なのに、今ひとつ、やる気がないのは誰の目にも明らかだった。
『なんかさぁ・・・・今日は気持ちが乗らないって言うか・・・・』
『乗ろうが乗るまいが、締め切りはやってくるのよ、大丈夫なの?』
ダイスケの仕事に関しては絶対の信頼を置いているアベだったが、やる気を出させるのもマネージャーの仕事だと心得ている。
『だぁいじょーぶだって。ちゃんと間に合わせるから』
笑って答えてはいるものの、実は、ダイスケが乗らないと言い出したのは今日が初めてではなく、
昨日も、その前も、仕事の進み具合はカメの歩みより遅い。
アベは小さくため息をついて、テーブルのメモを手に取るとダイスケの隣に座った。
『あのね、今作ってるニシカワくんのアルバムなんだけど・・・これが、売上目標枚数・・・・どう?』
顔を上げたダイスケにアベは手に持ったメモを見せる。
『・・・どう・・・って・・・・うん・・・これだけ売れたらいいよね』
ニシカワなら不可能ではないだろうという枚数がそこには書いてあって、ダイスケは他人事のように頷く。
『いいよね、じゃなくて、ダイスケが頑張っていい曲書いてくれないと困るわけよ』
『困るって・・・・僕はいつも頑張って作ってるよ。売れるかどうかはニシカワ次第じゃないの?』
確かにダイスケの言うとおりなのだが、それならもう少しやる気をだしてもらいたいと、アベは思っているわけだ。
『お休みが欲しくない?』
いきなり言い出したアベにダイスケが目を丸くする。
『な・・・に? そりゃ欲しいけど・・・別に無理にはいらないよ』
もともと仕事が嫌いってわけではないので、休みごときでダイスケは動かない。
もちろん、そんなことはアベも分かっている。 が・・・・
『ヒロといっしょに2日間の休暇ってのは?』
『取れるのっ?』
あまりの食いつきのよさにアベが苦笑いする。
『締め切りをちゃんと守れたらね』
『そりゃあ・・・・えっと・・・来月の何日までだった?』
言いながら、ダイスケがアベのメモを覗き込む。
『・・・5日ね・・・え? 嘘・・・もっと先じゃなかった?』
ダイスケの疑問にアベが笑って答える。
『これは、あくまで向こうからの希望日。うちは12日でお願いしてるんだけど』
『だよね〜』
ほっと胸を撫で下ろしたダイスケに、アベの笑みの種類が変わった。
『これ・・・向こうの希望通りの日に出来上がらないかしら?』
意味ありげな表情のアベにダイスケは、ちょっと戸惑ったが、そこは長い付き合いで言いたいことはすぐにわかってしまう。
『あぁ・・・そういうこと? この日までに上がったらヒロと休暇が取れる?』
『察しがいいじゃない。どう? 悪い話じゃないでしょ?』
絶対に食いついてくると思ったのだが、アベの予想に反してダイスケは落ち着き払ってソファーに凭れている。
『それ・・・アベちゃんが考えただけでしょ? ヒロにだって予定はあるんだし無理だよ』
ダイスケは以前ヒロと会った時、二人ともこの先1ヶ月以上はオフが合わないことを確認していた。
そんなことより・・・・と、ヒロが楽しそうにソロ曲のことを話していたのを思い出す。
もちろん一緒に喜んだダイスケだったが、その時一抹の寂しさを憶えなかったといったら嘘になる。
ダイスケの気力のなさは、その辺も影響しているのだろう。
また、つまらなさそうに膝の上の雑誌のページを捲りだしたダイスケを見て、アベはこっそりケータイを取り出してボタンを押す。
『・・・・・あ、ヒロ?』
アベの声に、ダイスケが弾かれたように顔を上げる。
『・・・・・そーなのよ。 よろしくね』
ニヤッと笑って、差し出すアベの手から、ダイスケはケータイをもぎ取った。
『もしもし?』
“ だぁいちゃん、仕事してる? ”
『・・・・・アベちゃんと何か企んだね?』
不機嫌な声を出したいダイスケなのに、どう頑張っても楽しげな声になってしまう。
“ 企んだって・・・・・人聞き悪いなぁ、計画したって言ってよ ”
笑いながらのヒロの声の温かさに頬が緩むのを止められない。
『だってぇ・・・・・アベちゃん何か無理言ったんじゃないの?』
“ う〜ん、そのへんはハヤシさんに聴いてよ。 オレは休みもらえて嬉しいかな・・・あ、もちろん、大ちゃん次第だけど ”
『ホントに休めるの?』
“ だから、大ちゃん次第。 出来そう? ”
ヒロに問われて、ダイスケが出来ないなんて言えるはずがない。
まんまとその手に乗るのは癪に障るダイスケだったが、答えはひとつしかない。
『うん・・・なんとかやってみる』
悔しくてアベを睨んでも、彼女は知らん顔して煙草を吹かしている。
“ 無理しちゃダメだよ? 別に会おうと思えばいつでも会えるんだから ”
ヒロが体調を気遣って言ってくれてるのは、ダイスケもわかっているのだが・・・・
『ヒロは・・・・僕との休暇・・・それほど欲しくないんだね?』
つい、口調が拗ねてしまう。
“ 大ちゃん・・・・・ ”
ため息混じりのヒロの声に、ごめんと小さく謝る。
『あのさ・・・無理しないで頑張るからっ』
精一杯明るく言うダイスケに電話の向こうが少し沈黙する。
『・・・ヒロ?』
“ ・・・無理してよ・・・ ”
『え?』
“ 無理してでも期日までに終わらせて、オレと遊ぼっ! ね? ”
『ヒロ・・・・』
“ 早く会いたいね・・・・ ”
頬を薄っすら紅く染めて嬉しそうに微笑むダイスケから、アベが慌てて目を逸らす。
『・・・うん・・・頑張る』
“ うん、オレのために頑張って! ”
そう言って楽しそうに笑うヒロにつられるようにダイスケも笑い出す。
どうやら、話は上手く纏まったらしいと、横からアベがケータイを取り上げた。
『あぁ! まだ話終わってないってば!』
ダイスケの不満の声をアベは鼻で笑って言い放つ。
『プライベートなお話はご自分の電話でどうぞ』
ケチ〜〜!と、ごねまくってるダイスケを振り払って、アベは廊下へ出る。
『ヒロ? ごめんね、仕事中に電話しちゃって』
“ いや、そんなことはいいけどさ・・・・あんまり大ちゃん無理させないでよ? ”
『あら、休み欲しくないの?』
“ ・・・・大ちゃんが倒れちゃったら、休みも何も・・・ ”
ヒロの言葉を最後まで聴かずに、アベが喋りだす。
『倒れるどころか、このところやる気なしって感じで、その分だけでも取り戻していただかないとね』
“ やる気なしって・・・・・どうかしたの? ”
『こっちが訊きたいわよ。 ねぇ、ダイスケに最後に会ったのはいつ?』
“ う・・・・ん・・・・・2週間くらい前に、ご飯食べた・・・・かな ”
ご飯食べただけ? と、突っ込みたいアベだったが答は分かりきっているので、あえて訊くことはしない。
『それっきり?』
“ うん ”
『電話くらいしてるわよねぇ?』
“ ・・・・してないけど? ”
『・・・・それが原因か・・・・』
“ えぇ? だって大ちゃん、電話すると会いたくなるから無理にかけなくていいよって・・・ ”
『あのねぇ・・・・ダイスケの強がりをまんま信じたわけじゃないでしょう?』
“ ・・・・・・強がり・・・だったの? ”
アベの深〜いため息がヒロの耳に痛い。
“ でもさ、大ちゃんはしっかりしてるから、オレの電話でどうこうってことはないでしょ? ”
『それ、本気で言ってる?』
アベの声に凄みが加わった。
“ これからは気をつけます・・・・ ”
別に謝る必要もないのだろうが、アベの方も当然のように頷く。
『そうね・・・・・アンタたち二人のフォローする気はないけど、ダイスケの仕事に影響がでるのは困るのよ』
“ ・・・・そっかぁ・・・・電話待ってたのかぁ・・・・ ”
アベの言葉はヒロの耳には届いていなかったらしく、なにやら嬉しそうにブツブツ呟いている。
『とにかく、そういうことだから! 切るわよ』
“ あ・・・・・待って、大ちゃんに伝言があるんだけど・・・・ ”
切りかけた指を止めて、アベが なぁに と訊ねた。
“ 愛してるよって ”
一瞬の沈黙の後
『ぶぁ〜〜〜〜か! 自分で言いなさいよっ、なんで私がそんなこと!』
アベの怒りも能天気なヒロには通用しない。
“ だって、もう仕事してるんでしょ? 邪魔したくないから・・・・・ね? ”
『い・や・よ!』
“ お願いだから〜、さっき言い忘れ・・・・・・ ”
ヒロの懇願は無常にも途中で断ち切られた。
ケータイを片手に部屋に戻ると、すでに仕事にかかってるとばかり思っていたダイスケは、
相変わらずソファーに座ったままで、上目遣いにアベを睨みつけた。
『ヒロと何話してたの?』
そんなことを聴くため待っていたのかと、アベは頭を抱えたくなる。
『内緒』
『え〜〜〜! なんでぇ?』
これのどこがしっかりしてるんだか・・・・・・・小さく呟きながらアベがため息をつく。
駄々をこねてるダイスケを、ヒロと約束したんでしょう?と説き伏せて、無理矢理仕事部屋に向かわせるが、
子供のように頬を膨らませているのを見て、アベは覚悟を決めた。
『・・・・ヒロからの伝言、聞きたい?』
『え・・・なにっ?』
ダイスケの反応も早かったが、周りのスタッフが耳をダンボにしたのを感じてアベは憂鬱になる。
しかし、ダイスケの期待に満ちてキラキラ光る瞳に追い詰められて、アベは死んでも言いたくなかった言葉を吐く。
『愛してる・・・・・・・・って・・・・』
『・・・・・やだなぁ・・・・・ヒロったら・・・・』
だったらもっと嫌そうな顔すれば・・・・・という意見をアベは飲み込む。
その顔に大きく「嬉しい」と書いたダイスケが、蕩けそうな笑みを浮かべて仕事部屋に入って行ったのを見て
アベが今日何回目かの大きなため息を洩らした。
【ダイスケの気力を取り戻す特効薬として “ ヒロ ” は最適です。 ただし副作用にご注意ください】
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そりゃもう、ステキなアルバムに仕上がったことでしょう・・・・第七天国(笑)
流花
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