Distance Y また、雪になるのではないかと思えるくらい空が低い。 チャコールグレイの雲をブラインド越しに眺めながら、ダイスケは薄く微笑う。 『や〜ね〜、いい年した男がニヤニヤして・・・』 机上の書類を片付けながら、アベがからかいの言葉を投げる。 『なんだよ、いい年した男がニヤニヤしちゃ悪いのかよ・・・・てか、ニヤニヤなんてしてないよ』 『じゃ、ヘラヘラ?』 勝手に言ってろと言わんばかりに、アベを無視してソファーに腰を下ろした。 今日の仕事はほとんど終わって、残っているのはダイスケとアベだけだ。 『ふ〜〜〜ん・・・うまくいってるんだ?』 『まぁね〜』 余裕たっぷりに答えるダイスケにアベも負けてはいない。 『さいですか・・・・さぞかし性生活も充実してらっしゃるんでしょうねぇ』 その言葉に、みるみる顔を赤くするダイスケを見て、アベがニンマリ笑う。 『な、な・・・に、言ってんのっ?』 『最近、お肌の艶が違いますもの〜』 『・・・ばっかじゃないのっ?』 耳まで赤くしたダイスケの隣にアベが高笑いしながら座る。 『で、今日はお迎えにくるの?』 睨みながらも、嬉しそうに頷くダイスケにアベも笑みを返す。 最近では、たまに迎えに来るようになった年下の恋人を待って、またダイスケが無意識に窓の外を見る。 『あ・・・雪?』 ふわふわと落ちてくる白いものに、思わず声を上げる。 『あら、本当だ・・・・積もらなきゃいいけど』 そんなアベの声を遠くに聞きながら、ダイスケの心は2ヶ月前のあの日に飛んでいた。 フロントグラスにあたる雪とヒロユキの横顔が脳裏に焼きついている。 あの日・・・・・ 迎えに来たヒロユキは、いつもと違って寡黙だった。 どこへ行くのか聞けぬまま、ダイスケはハンドルを握るヒロユキの横顔を盗み見る。 何か深刻な話なのだろうか・・・・・でも、聞くことが出来ない。 『どこに食べに行くの?』 勤めて明るく聞いたダイスケに、ヒロユキはちょっと困った顔を見せた。 『う・・・ん・・・、大ちゃん、お腹空いてる?』 たいして空いてはいない・・・・というより、今は不安でまったく空腹感はなかった。 『いや・・・それほどでも・・・』 『だったら先にオレんち行ってもいいかな? 話あるし・・・』 被せるように言うヒロユキにダイスケは吃驚する。 『ヒロんち?』 『うん』 頷いただけで黙り込んだヒロユキに、ダイスケもそれ以上は聞けないでいる。 ヒロユキの家に行ったことはない。 用事もなければ、呼ばれたこともなかったから。 だから、なぜ急に・・・という驚きと不安。 ヒロユキの顔をじっと見るのも不自然だろうと、自分のブレスレットを手持ち無沙汰に触っていると 『大ちゃん・・・雪だよ』 ヒロユキの声に顔を上げてフロントグラスに目をやる。 『ホントだぁ・・・・結構大粒だねぇ、積もるかなぁ・・・』 いつもなら話に乗ってくるはずのヒロユキは、フロントグラスを見つめたまま笑顔すら見せない。 ダイスケの胸が不安で押しつぶされそうになった頃、車はヒロユキのマンションへ滑り込んだ。 初めて入ったヒロユキの部屋を、ゆっくり見て回る余裕もなくダイスケはソファーに座らされ 車の中からほとんど口を開かなかったヒロユキも神妙な顔つきで、ダイスケの隣に腰を下ろした。 すぐに話し出さずに、なにやら考えているヒロユキに焦れてダイスケから声をかける。 『ヒロ・・・何か重大な話・・・なの?』 『重大っていうか・・・・オレにとってはね・・・』 やっと口を開いたヒロユキだが、ダイスケの方を見ようとしない。 『僕にはどうでもいい話?』 ちょっとふざけた感じで聞いてみても、ヒロユキの口は重い。 『もう! なんなの? ヒロらしくないよ。はっきり言えば?』 強く言って腕を掴み、自分の方を向かせると、ヒロユキは何か諦めたように、やっとダイスケを見て微笑んだ。 『うん・・・ごめん。思い切って言うね。そのために呼んだんだもんね』 少し儚げな表情のヒロユキを見て、ダイスケは瞬時にいくつかの想像してしまう。 「A*Sを辞めたい」? 「大ちゃんとはやっていけない」? 「好きな人が出来たから結婚する」? 出来ればどれも聞きたくない・・・・・そう思って目を伏せた時、思ってもみなかった言葉が降ってきた。 『大ちゃんが好きなんだよ』 『・・・・・・』 すぐには何を言われたのか理解できずに、ヒロユキの腕を掴んだまま固まっているダイスケに 気を悪くしたのだと思ったヒロユキは、言い訳するように言葉を続ける。 『ごめんね、言うつもりはなかったんだけど・・・・なんか自分でケジメつけなくちゃって・・・・え?なに?』 目を真ん丸にしてダイスケが呟いた言葉を聞き逃したヒロユキが顔を近づける。 『す・・・好きって? どういうこと?』 もちろん、ダイスケに言葉の意味がわからないわけではなかったが、いきなりすぎて思考がついていかない。 『どうって・・・・だから・・・・ごめん、大ちゃんにはアキトくんがいるし、バカなこと言ってるのはわかるんだけど・・・』 『そうじゃなくて!・・・・なんで僕なの? 男なんて興味ないって言ってたじゃん!』 だから最初から諦めていたのに・・・・・そんな腹立たしさをぶつけるように掴んだ腕を揺さぶる。 『あ・・・うん、今でも男に興味はないけど・・・・』 『なら、どうして!』 『だって、大ちゃんだから・・・かな』 そう言って困ったように微笑むヒロユキに、ダイスケの方が困ってしまう。 『何? それ? 僕は男だよ?』 『うん、でもオレには大ちゃんだから・・・』 男でも女でもなく、大ちゃん≠ニいう生き物だからと言い切るヒロユキに、ダイスケは何も言い返せず・・・・ 『大ちゃんは今、アキトくんと幸せなんだから言うべきじゃないって我慢してたんだけど・・・』 『・・・いつ? いつからそんなこと考えてたの?』 震えそうになる声を必死で我慢して、ヒロユキを見る。 『彼女と別れて・・・いや、別れた原因考えてて・・・やっぱり大ちゃんだなって』 『そんな・・・・前? なんでその時に言ってくれないの?』 『アキトくん・・・・いたからね』 苦く笑うヒロユキにダイスケは、もう返す言葉が見つからなかった。 『だから、言わずにおこうって・・・・でも、はっきり言って振られない限り、オレが前に進めない気がしたんだ。 ここから一歩も動けなくて・・・・苦しくて・・・・ホント、情けなくてごめん・・・』 ヒロユキの言葉を聞きながらも、ダイスケは別のことを考えていた。 もし・・・・暁人と付き合っていなければ・・・・・。 何年も何年もヒロユキを想い続けて、なぜあと半年待てなかったのか・・・・。 もちろん、ダイスケのせいでも、ヒロユキのせいでもなく、そういう巡り合わせだったのだとわかってはいても 時を戻せない歯痒さに、涙が出そうになる。 『大ちゃん・・・・そんな顔しないで・・・』 辛そうなその声音に顔を上げようとしたダイスケを、絡め取るようにヒロユキは抱きしめた。 好きだと告白されて、初めて抱かれるその腕の心地よさに、ダイスケは逃げることも忘れて うっとりと瞳を閉じた耳元で甘い声が囁く。 『好きだよ』 ずっとずっと欲しかったその言葉は、返って現実味に欠け、すっと気持ちが冷えてしまい、 思い切り両腕を突っぱねると、ヒロユキの腕から逃れて立ち上がる。 潤んでしまいそうになる瞳を誤魔化すように、ヒロユキから視線を逸らせて、でもはっきりと言い放った。 『遅いよ・・・・もう僕にはアキトがいる・・・・から』 その言葉にヒロユキもゆっくり立ち上がる。 『そうだね・・・・ありがとう、はっきり言ってくれて・・・。 ごめんね、手間取らせちゃって・・・・送るよ』 拍子抜けするくらい、あっさりとしたヒロユキだったが、テーブルに置いてあったキーホルダーを掴む指先が 微かに震えているのを見て、ダイスケの胸はキリで刺したように痛み出した。 これで終り・・・・・ヒロユキの溜息のようなありがとう≠ニ、キーホルダーの冷たい金属音にそれを感じていた。 雪はすっかりやんでいたのに、ダイスケにとって帰りの車内は凍えるほどに寒かった。 心まで冷え切っていたからなのか、涙すら零れてこない。 すぐ隣にヒロユキが座っているのに触れることも敵わず、膝の上で握り締めた手が震える。 家に帰るまでの辛抱だ。 暁人が待っているのだから・・・・。 何かを堪えるように両手を握り締めて一言も喋らないダイスケに、ヒロユキは時折視線を投げていたが 言葉をかけることはせず、別れを惜しむように殊更安全運転で車を進めていた。 それでも、車は目的地へと到着し、ドアを開けようとダイスケが手を伸ばした時、 それを止めるように、ヒロユキの熱い手が冷たい指を包み込んだ。 『ヒロ?』 ずっとヒロユキを見ないようにと目を伏せていたダイスケが、思わずその顔を上げると 思ってもいなかったヒロユキの微笑みとぶつかる。 『大ちゃん・・・・・まだ・・・・オレのことが好き?』 急に何を言い出すんだよ・・・・バカなこと言うな・・・・そんなことあるわけない。 でも、泣きたくなるくらい優しい笑みを浮かべたヒロユキに、ダイスケは否定の言葉が返せず 『な・・・ぼ・・・僕は・・・そんな・・・』 蚊の鳴くような呟きは意味をなしていない。 『大ちゃん・・・』 囁きながら近づいてくるヒロユキの顔・・・・その唇の温かさを、自分の唇で感じた瞬間 ダイスケは、転がるように車から降りると、後も見ないで駆け出していた。 ヒロユキが怖かった。 いや、暁人を裏切ってしまいそうな自分が怖かったのかもしれない。 鍵を出すのがもどかしく、ドアホンを乱暴に鳴らすと、奥から暁人の走ってくる足音がして、すぐにドアは開けられた。 『おかえり、早かったね』 明るい暁人の声に、靴も脱がずに縋りつくようにその胸に飛び込んだ。 『ダイッ・・・どうした? 何かあったの?』 戸惑いながらもダイスケの身体を受け止めた暁人は、荒い息を静めようとするように優しく背中を撫でる。 そして・・・・・・その腕の中で、ダイスケは泣き出していた。 ヒロユキを振り切った悲しみからではなく、 暁人の腕に抱かれた安心からでもなく、 どうにも出来ない自分の心を知ってしまったから。 今抱かれてるこの腕の中が、すでに自分の居場所ではなくなっていることに気が付いてしまったから。 ヒロユキの腕の心地よさも、その匂いも、耳元の囁きや、唇の温かさ・・・・どれもなかったことには出来ない。 『ダイスケ? どうしたの?』 優しい問い掛けに、ダイスケはゆっくり顔を上げると暁人の腕をほどいて後退る。 零れる涙を拭おうともせずにまっすぐ見つめて、小さくごめん≠ニ呟くダイスケに、暁人の顔から微笑みが消えた。 『何が・・・・ごめんなの?』 『・・・・ヒロのとこ、行かなくちゃ・・・』 なんの脈絡もない言葉だったが、暁人にはその意味がわかってしまった。 ダイスケと付き合い始めてからずっと、誰かの影が付きまとっていたことは知っていた。 でも、暁人がそのことに触れたことはない。 ダイスケの後に見え隠れするその影は、二人の仲が深まるほどに薄れてきていたし、 きっといつか自分だけを見てくれる日がくると信じてもいたから。 まさか、それがヒロユキだとは思ってもいなかった・・・・・いや、心のどこかで疑っていたのだろう。 だから、ダイスケの言葉の意味をすぐに理解できたのだ。 『ヒロさんと・・・付き合うの? 彼がダイスケを好きだって?』 手の甲で涙を拭いながら頷くダイスケは、いつもより可愛く見える。 その理由を否定したくて、暁人は小さく首を振る。 『ヒロさんは・・・そういうんじゃないだろ? 男とどうこうなんて・・・・あるわけない』 冷たく言い切る暁人に、ダイスケは泣き笑いの表情を見せた。 『うん・・・でも好きだって・・・・言ってくれた』 『そんなの・・・・一時的なものだよ。すぐに違うって気付くに決まってる。その時泣くのはダイスケだよ?』 『・・・・そうだね・・・』 そんなことは知っているといわんばかりの答え。 『・・・・俺じゃ・・・ダメなのか?』 『ダメなわけないよっ。アキトは何も悪くない。悪いのは僕だから・・・』 僕の我儘だから・・・と、再びダイスケの瞳が涙で潤む。 それでも暁人は、すんなりとダイスケを手放す気にはなれない。 ほんの数時間前、仲直りしたばかりなのに・・・・。 愛している、ずっとそばにいると約束したのに、どうしてこんなことになってしまったのか。 『いつか泣かされるのわかってても・・・行くんだ?』 俺を捨てて・・・・とは、さすがに言わないが、暁人は納得できなかった。 ダイスケの瞳から涙が零れだしても、優しい言葉はかけられない。 睨みつけるような暁人の視線を受け止めたダイスケの声が掠れる。 『・・・・か・・・れてもいいんだ・・・泣かされても・・・すぐに飽きられてもいい・・・ ずっと・・・ずっとヒロが欲しかったんだ、だから・・・一瞬でも僕のものになるなら・・・それで・・・』 暁人はダイスケのことを、いい意味で計算高い人だと思っていた。 天然で可愛い人ではあったけど、ちゃんと物事を考えて、バカなことはしない大人だと。 それが・・・・ 今目の前で、駄々っ子のようにヒロが欲しい≠ニ泣いているのは暁人の知らないダイスケだった。 途方にくれた暁人にダイスケが小さく頭を下げる。 『僕・・・行かなくちゃ・・・』 『ダイスケ!』 背を向けようとするその腕を掴んでこちらを向かせる。 『外でヒロさんが待ってるの?』 『ううん・・・』 『なら、ちゃんと話しよう。ね? 靴脱いで・・・』 優しく腕を引く暁人の手を、ダイスケは残酷なくらい強く振り払った。 『行かなくちゃ・・・』 『どうして今?』 思わず声を荒げる暁人に、ダイスケの声も大きくなる。 『わかんないっ。でも早くしないと・・・・』 その言葉の先は、ダイスケと共にドアの外に消えていった。 呆然としていた暁人だったが、ゆっくり閉まるドアを見つめてその場に座り込んだ。 二度と戻ってこないであろう薄情な恋人に想いを馳せ、大きくため息をつく。 まだ、彼の幸せを祈ってあげられる心境には程遠かったけれど、いつか・・・きっと・・・・。 たった今、走ってきた道を、また走って戻る自分を滑稽だと嗤う余裕はダイスケのどこにもなく とにかく早くヒロユキに会いたい・・・・それだけだった。 また気持ちが擦れ違うことのないように、1分でも早く伝えたかった。 とにかくタクシーの拾えるところへ出ようと、角を曲がると、そこに見慣れた車を見つける。 ダイスケが足を止めるより早く、ドアが開いてヒロユキが降りてきた。 『ヒロ・・・』 なぜそこにヒロユキがいるのか、そんなことはどうでもよかった。 ダイスケは自分のいるべき場所に向かって足を踏み出す。 さっきより笑みを濃くしたヒロユキの腕の中へ。 『ダ〜イスケ』 呆れたような声に、ふっと現実に引き戻され、アベを見ると 『ヒロ!』 いつの間にか、ヒロユキがアベの隣で笑っている。 『いつ来たの?』 『さっき』 『声かけてくれればいいのに・・・』 ヒロユキの方に歩き出したダイスケに、アベが大げさに首を振る。 『頭おかしくなったのかと思って声かけられなかったのよ』 コノヤロウと、アベに食って掛かろうとするダイスケを、ヒロユキが後からやんわり抱きとめる。 『だぁいちゃん・・・・可愛かったよ、大ちゃんの百面相、つい見惚れてた』 顔は見えないけど、明らかに笑っているヒロユキの声に、自分がどんな顔をしていたのかと恥ずかしくて頬が熱くなる。 そんな二人を見て、アベがうんざりした様子で隣の部屋へ消えていった。 それを確認してか、抱きしめるヒロユキの腕に力が入る。 『何考えてたの?』 甘い声に耳をくすぐられて、ダイスケが首をすくめる。 『な・い・しょ・・・』 背中に感じるヒロユキの体温が温かい。 あのころ、どんなに願っても二人の距離が縮まることはないと思っていたのに・・・・・ 『大ちゃん、帰ろう』 微笑みかけるヒロユキがあの日に重なる。 『うん、帰ろう』 帰る場所はお互いの隣だと、もう二度と間違わないように、ダイスケはヒロユキの手を強く握った。 ---------- end ---------- |
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